「完結したのに、次の連載がなかなか始まらない」。藤本タツキを追いかけていると、そう感じる瞬間が何度かあります。今の第二部完結後の空白もそうですが、実はこれが初めてではありません。
過去にも同じような空白が一度あります。『ファイアパンチ』が終わってから『チェンソーマン』第一部が始まるまでと、第一部が終わってから第二部が始まるまでです。後者の空白には、読み切り『さよなら絵梨』が挟まっていました。
この事実だけを見ると、「藤本タツキは連載の合間に読み切りを挟む作家だ」という像ができあがりそうになります。ただ、二つの空白を日数で並べ直すと、その像は思ったより単純ではありません。挟むかどうかにも、挟むタイミングにも、ばらつきがあるとわかります。
この記事で数えるのは、あくまで「一本の連載が終わってから、次の連載が始まるまで」に絞った二つの空白です。条件をそろえて比べることで、印象ではなく数字で「すぐ続きを描かない理由」に近づいてみたいと思います。
完結を知ったうえで読み返すと、彼がいつ次の一手を打つかにも自然と目が向きます。今回はその「間(ま)」の取り方を、感覚ではなく日数で洗い直してみます。
空白は二回あった、読み切りが挟まったのは一回だけ
まず前提を数字で確認しておきます。『ファイアパンチ』は全8巻で完結していて、最終8巻は2018年2月2日に発売されました(出典: S-MANGA.NET)。連載そのものの最終回は同年1月1日で、『チェンソーマン』第一部が始まったのは同年12月3日でした(出典: 少年ジャンプ公式)。この間はおよそ336日、月数にして11か月ほどの空白です。
この336日のあいだに、藤本タツキが新しく発表した作品は見当たりません。少なくとも今確認できる記録の中には、読み切りも短編集も挟まっていないんです。
単行本の冊数で見ると、『ファイアパンチ』は全8巻、『チェンソーマン』第一部は全11巻です。どちらも長期連載と呼べる規模で、その間にすっぽり336日の沈黙が空いていたことになります。
一方、第一部が終わったのは2020年12月14日、第二部が始まったのは2022年7月13日でした(出典: ORICON NEWS)。この間はおよそ576日、1年7か月ほどです。ここには200ページの読み切り『さよなら絵梨』が挟まっています(出典: 電ファミニコゲーマー)。
つまり、長期連載と長期連載のあいだの空白は、今のところ二回記録されています。読み切りが挟まったのはそのうち一回だけです。「連載の合間には読み切りを挟むのが藤本タツキのスタイルだ」と言い切るには、まだサンプルが足りません。むしろ「挟まないほうが基本で、挟んだのは一度だけ」という見方もできてしまいます。
ちなみに、掲載媒体も両パートで違います。第一部は週刊少年ジャンプ、第二部は少年ジャンプ+でした。
話数のペースを計算すると、全97話・742日の第一部は1話あたり平均7.65日です。通算232話のうち第二部にあたる135話・1351日は、1話あたり平均10.01日になります。同じ「連載」でも歩幅が違うので、期間の長さだけで単純に比べにくい面もあります。
『予言のナユタ』は、この話とは別の助走
ここで、混同しやすい話をひとつ切り分けておきます。藤本タツキには『予言のナユタ』という読み切りもあります。2015年にジャンプSQ.で発表され、のちに短編集『22-26』に収録されました(出典: 集英社)。
『ファイアパンチ』の連載開始は2016年4月18日です。『予言のナユタ』の発表からおよそ8か月後にあたります。間隔だけを見ると、「読み切りのあとに連載が始まる」という、この記事で扱っているのと同じパターンに見えるかもしれません。
ただ、これは性質が違う話です。『予言のナユタ』が出た時点で、藤本タツキはまだ長期連載を一本も終えていません。デビュー前後の助走であって、連載を完結させたあとの沈黙とは前提がそもそも違います。
この記事で比べているのは、あくまで「一本の連載を終えたあと、次の連載が始まるまで」の二回です。デビュー期の『予言のナユタ』をここに混ぜてしまうと、空白の数もパターンも違って見えます。だからこそ、先に切り分けておきたかったんです。
こういう混同が起きやすいのは、読み切りという「形になった1本」のほうが記憶に残りやすいからだと思います。何も無かった336日は忘れられていっても、200ページの『さよなら絵梨』は読んだ記憶として残ります。すると、藤本タツキの経歴を振り返ったときに「読み切りのあとに連載が来る」というパターンだけが浮かび上がります。性質の違う二つの助走が、同じもののように見えてしまうんです。
沈黙の長さで比べると、静かな逆転が起きている
ここからが、この記事でいちばん伝えたいところです。『さよなら絵梨』が挟まったからといって、第一部と第二部の間の空白が賑やかだったわけではありません。
『さよなら絵梨』が発表されたのは2022年4月11日でした。第一部の完結(2020年12月14日)からここまでの日数を数えると、およそ483日、月数で16か月近くになります。
ここで、さっきの336日と見比べてみます。『ファイアパンチ』から『チェンソーマン』第一部までの空白は、丸ごと336日が沈黙でした。一方、第一部から『さよなら絵梨』までの沈黙は483日です。読み切りが挟まったはずの空白のほうが、何も出なかった空白よりも、その手前の沈黙だけですでに長いんです。
『さよなら絵梨』が出たあと、第二部が始まるまではおよそ93日、3か月ほどでした。この93日を差し引いても、483日という沈黙の長さは動きません。読み切りは空白の真ん中あたりでバトンを繋いだわけではなく、576日のうち84%ほどが過ぎたところに、ようやく姿を見せています。
483日は、週数に直すとちょうど69週です。週刊連載を1話ずつ追う感覚に置き換えると、69週のあいだ新作が一話も出なかった、ということになります。しかもこの69週という長さは、『ファイアパンチ』から第一部までの空白(336日、48週分)を、まるごと超えているんです。
当時これをリアルタイムで追っていた読者からすれば、69週のあいだ藤本タツキの新作を目にすることはなかったはずです。読み切りが出た号を境に、そこから3か月ほどで次の連載が始まる。振り返れば忙しない移行に見えても、渦中にいた読者の体感を占めていたのは、圧倒的に長いほうの沈黙だったと思います。
576日を1本の物差しに例えると、目盛りの84のところでようやく読み切りが現れ、残り16目盛りで第二部が始まった計算です。物差しの大部分を占めているのは、やっぱり何も無い部分のほうなんです。
もうひとつ、別の物差しでも測ってみます。第一部は742日をかけて全97話を描いていて、平均すると1話あたりおよそ7.65日のペースです。この平均ペースに336日を当てはめると、およそ44話分に相当します。全97話の半分近くが、何も新作が出ないまま過ぎていった計算になるんです。
93日は週に直すとおよそ13週です。テレビアニメでいう1クール分に近い長さで、これくらいなら「そろそろ次が来る頃合いだ」と感じやすい間隔だと思います。同じ576日の空白の中に、69週の沈黙と13週の助走という、まったく違う長さの時間が同居していたことになります。
数字を並べ直すと、こうなります。ファイアパンチ後の空白は336日(48週)まるごと沈黙。第一部後の空白は576日のうち483日(69週)が沈黙で、残り93日(13週)に読み切りと連載開始が集中しています。「読み切りがあった分マシだった」という印象は、この93日分の密度に引っ張られているだけかもしれません。
これは、「読み切りを挟んで読者を退屈させない作家」というイメージとは、少しずれます。実際には、読み切りが来る前の沈黙のほうが、もう一方の空白全体より長いんです。挟まっていたはずの空白は、体感としてはむしろ「長く待たされたあとに、ようやく一つだけ来た」に近いはずです。
200ページの読み切りが最後に来る理由
では、なぜ『さよなら絵梨』は空白の終盤に現れたのでしょうか。僕はこれを、読者を飽きさせないための配置というより、単純に「そこでようやく仕上がった」結果だと読んでいます。
『さよなら絵梨』は200ページという分量です。1話20ページ前後を積み重ねる週刊連載とは違い、これを一人で描き切るにはそれなりの時間がかかったはずです。483日という沈黙の大半は、実質的にこの1本の制作に費やされていたと考えるほうが自然に思えます。
この483日のあいだ、藤本タツキ名義で確認できる新作は『さよなら絵梨』の1本だけです。並行していくつも読み切りを発表するのではなく、1本にまとめて時間をかける描き方だったとも読めます。
そう考えると、『さよなら絵梨』は「連載と連載をつなぐ橋」として最初から設計されていたわけではなさそうです。むしろ「次の連載に取りかかる前に、一度描き切っておきたかった1本」だったんじゃないか。僕はそう読みたくなります。結果として空白の終盤に着地しているのは、次の連載の開始を狙ったタイミングというより、単に完成のタイミングがそこだった、という見方もできるはずです。
もしそうだとすれば、「連載の合間に読み切りを挟むかどうか」を決めているのは、読者を飽きさせない配慮ではなさそうです。むしろ、その時々に描き切りたい題材があるかどうか、なのかもしれません。『ファイアパンチ』のあとの336日にはそれが無く、第一部のあとの576日にはそれがあった。挟むか挟まないかのばらつきも、それで説明がつく気がします。
『さよなら絵梨』はカメラと創作をめぐる物語です。連載の合間に「どうしても今描いておきたい」題材が浮かんだのだとすれば、それが200ページというまとまった分量になったのも、うなずける話です。
空白の数え方を変えると、待ち方も変わる
僕がこの記事で確かめたかったのは、「藤本タツキは読み切りを挟んでから連載を始める作家だ」という前提を、いったん数字で洗い直すことでした。挟んだのは一度だけ、しかもその手前には、もう一方の空白全体より長い沈黙がありました。
「読み切りを挟む」を規則のように語ってしまうと、次の空白でも同じことが起きるはずだと期待しがちです。ただ、今回並べた二つの空白を見る限り、それは規則というより結果です。描き切りたい1本があれば読み切りとして出てくるし、なければ長期連載がそのまま次に始まる。どちらに転んでもおかしくない、というのが実際のところだと思います。
サンプルは二回だけなので、この先も同じ比率になるとは限りません。それでも、「読み切りを挟むのが当たり前」という前提を一度疑ってみる価値はあったと思います。
このパターンをどう見るかは、これから先の空白にも関わってきます。第二部の完結後、次の発表はまだ未発表のままです。それが読み切りの形で来るのか、連載の形でいきなり来るのか、あるいは今回のように長い沈黙のあとになるのか。今のところ、決まった型があるとは言い切れません。
はっきりしているのは、沈黙の長さそのものが「何も起きていない証拠」にはならないということです。483日の沈黙の内側では、200ページの読み切りが静かに進んでいました。今の空白の内側で何が進んでいるかは、外からは見えません。
制作のリズムをもう少し広い視点で見たい人には、全作品を並べた年表の記事もあわせて読んでみてください。『さよなら絵梨』そのものの読み方は別の記事で、『ファイアパンチ』の結末はこちらの記事でそれぞれ考察しています。読む順番に迷ったら、目的別の読み方ガイドも用意してあります。
沈黙の長さを数えてみるまで、僕自身「読み切りが挟まった空白のほうが優しい」と感じていました。実際には逆でした。空白の中身を数字で見直すと、印象と実態がずれることがある。それも、この作家を読み返す面白さの一つだと思います。

